2021年、Netflixで配信された韓国ドラマ『イカゲーム』は、世界中で社会現象となるほどの大ヒットを記録しました。
しかし日本では「イカゲームはカイジのパクリでは?」という声が数多く上がっています。
確かに、両作品には驚くほどの共通点があり、ボクも最初に観たときは思わず「おや?」と感じました。
とはいえ、『イカゲーム』と似ている日本の作品は、『カイジ』だけではないんです。
今回は、『イカゲーム』が影響を受けたとされる日本作品との類似点を、具体的な場面や設定を交えながら詳しく解説していきます。
イカゲームはカイジのパクリと言われる5つの理由
物語の設定から細かな演出まで、両作品には数多くの共通点が存在します。
一見すると偶然の一致にも思えるこれらの類似点。そこには現代社会への鋭い批判や人間ドラマとしての普遍的なテーマが隠されているんです。
借金を抱えた主人公という共通点
主人公の設定における類似性は、現代社会が抱える根本的な問題を映し出しています。
カイジは友人の借金の保証人になったことをきっかけに奈落の底へと転落していく青年で、定職に就けないまま日雇い労働で食いつないでいます。
一方のイカゲームのソン・ギフンは運転代行の仕事をしながら母親の医療費や生活費に追われる中年男性。離婚して娘とも別れ、ギャンブルに手を出して借金を重ねていく姿は、まさに現代の縮図とも言えます。
ボクが特に注目したいのは、両者とも「最初から底辺」だったわけではないという点です。
カイジは高校を出て就職したものの会社を辞め、ギフンは投資に失敗して転落していきます。つまり、誰もが転落する可能性を持っているという普遍的なメッセージが込められているんです。
ギフンには娘のために誕生日プレゼントを買いたいという願望があり、カイジには母親や妹への思いがある。この「家族との絆」という要素が、彼らの行動の重要な動機付けになっているのも見逃せません。
命を賭けたギャンブル大会という設定
ゲームの構造に目を向けると、さらに興味深い共通点が見えてきます。
両作品とも、参加者たちは最初は「自由意志」でゲームに参加します。カイジは帝愛グループからの誘いを受け入れ、ギフンは謎の男からもらったカードの誘いに乗る。この「自発的な地獄行き」という設定が、物語に独特の重みを与えています。
さらに注目すべきは、両作品とも途中で「ゲームを辞退できる機会」が与えられる点です。
イカゲームでは第1回戦後に民主主義的な投票によって一度解散となり、カイジでも途中で帰る選択肢が提示されます。
しかし、現実社会での生活苦や借金地獄から、結局ほとんどの参加者が「自ら望んで」再びゲームに戻ってくる。この展開は、現代社会における「選択の自由」の皮肉な一面を浮き彫りにしています。
また、ゲームの難易度が段階的に上がっていくという展開も共通しています。
初期のゲームは比較的シンプルで、参加者たちはまだ余裕を持って臨めます。しかし回を重ねるごとに心理的プレッシャーと難易度が上がり、最後は極限状態での判断を迫られることになります。
富裕層の娯楽という背景設定
両作品における「観客」の存在は、現代社会の歪みを象徴的に表現しています。
カイジの帝愛グループの富豪たちは、地下施設で繰り広げられる命懸けの勝負を高みから眺め、イカゲームのVIPたちは豪華な特別室から仮面を被って観戦します。
特にイカゲームでのVIPの描写は印象的です。
流暢な英語で会話を交わし、人の死を賭けたゲームを「エンターテインメント」として楽しむ彼らの姿は、グローバル資本主義の暗部を強烈に批判しています。
彼らにとって参加者たちの命は、ただの娯楽の道具でしかありません。
また両作品とも、ゲームを運営する組織の巨大さと非情さも共通しています。
警察や行政からも完全に独立した存在として描かれ、その権力の源泉は巨額の資金力にあることが示唆されています。
まさに「カネが正義」という資本主義社会の極限形が描かれているわけです。
施設と管理者の存在
両作品における舞台設定と管理者の描写も驚くほど似ています。
カイジでは地下施設、イカゲームでは人里離れた島という隔絶された空間で物語が展開します。そして、そこには完全な統制を行う管理者たちが存在するんです。
イカゲームではピンクのつなぎを着た管理者たちが、カイジでは黒服の管理人たちが、ゲームの運営を厳格に取り仕切ります。彼らは参加者に対して絶対的な権力を持ち、ルール違反者には容赦なく制裁を加えます。
さらに注目すべきは、これらの管理者たちもまた組織の階層構造の中で生きているという点。
イカゲームのフロントマンやカイジの利根川のように、彼らにも上下関係があり、それぞれが自分の立場を守るために行動しているんです。
管理者たちは表面上は冷徹な規律の執行者として描かれますが、時に人間的な感情も垣間見せます。
この描写によって、支配する側と支配される側の境界線が実は曖昧であることが示唆されており、現代社会における権力構造への鋭い批判となっているんです。
ボクから見ると、この「管理者」という存在の描き方は、両作品の世界観を支える重要な要素の一つだと言えるんです。
人間性が問われるゲーム展開
両作品の最大の魅力は、極限状況下での人間模様の描写にあります。
単なるサバイバルゲームを超えて、「人はどこまで人間であり続けられるのか」という深い問いを投げかけています。
イカゲームでは、「ガラス橋渡り」のチーム結成や「玉の陣取りゲーム」の準決勝戦など、協力と裏切りの狭間で揺れ動く人間心理が克明に描かれます。
特に「ガラス橋渡り」では、前を行く人が踏み抜いて死ぬことで後続の人間が生き残れるという残酷な構造が、参加者たちの心理を追い詰めていきます。
カイジでも「限定ジャンケン」や「Eカード」といったゲームで、信頼と疑心暗鬼の葛藤が描かれています。
特筆すべきは、両作品とも「完全な善人」や「完全な悪人」を描かないという点です。
カイジもギフンも、時に利己的な判断をし、時に仲間のために自己犠牲を選びます。
イカゲームの幼なじみサンウのように、最初は協力的だった人物が状況の変化とともに豹変するケースもあります。こうした人間の複雑さ、矛盾した心理の描写が、作品に深みを与えているんです。
さらに、勝者となった主人公たちが味わう虚無感も共通しています。
彼らは「勝った」にもかかわらず、本当の意味での勝利者とは言えない、むしろ人としての何かを失ってしまったような喪失感を抱えることになります。
これは現代社会における「勝利」の意味を問い直す、重要なメッセージとなっていると思うのは大げさでしょうか?
イカゲームはカイジのパクリ?|似てる日本のドラマや映画
日本のエンターテインメント界には、実は数多くのデスゲーム系作品が存在します。
その中でも特に注目すべき3作品と『イカゲーム』との関係性を見ていくと、日本発のデスゲーム系コンテンツが世界に与えた影響の大きさが見えてきます。
バトル・ロワイヤル
日本のデスゲーム作品の原点とも言える映画『バトル・ロワイアル』は、高見広春の小説を原作に1999年に制作されました。
舞台は、大人たちが権力を失い、子供たちが暴走する架空の日本。大人たちは威厳を取り戻すために「BR法」という新世紀教育改革法を制定します。
この法律により、毎年1クラスの中学3年生が無人島で3日間の殺し合いを強いられるという過激な設定が、世界的な話題を呼びました。
特筆すべきは、映画が15歳という多感な年齢の少年少女たちの心理を丁寧に描いている点です。彼らは首輪型の爆弾を装着され、脱出を試みれば爆死するという絶望的な状況に置かれます。
このような極限状態で、友情や恋愛、裏切りといった人間関係がどのように変化していくのかを克明に描き出しています。
ボクが注目したいのは、この作品が世界のデスゲーム系作品に与えた影響の大きさです。
海外では特にカルト的な人気を誇り、『ハンガーゲーム』シリーズにも大きな影響を与えました。
さらに、イカゲームのファン・ドンヒョク監督自身が、この作品からインスピレーションを受けたことを『Variety』誌のインタビューで明かしているんです。
神さまの言うとおり
金城宗幸原作、藤村緋二作画の漫画を三池崇史監督が映画化した本作は、誰もが知っている子供の遊びが突如として死のゲームへと変貌する恐怖を描いています。
主人公の高畑瞬(福士蒼汰)が送る平凡な高校生活は、ある日突然、教頭の頭が爆発するという衝撃的な出来事で一変します。
最も注目すべきは、イカゲームの第1話と同じく「だるまさんが転んだ」が登場する点です。
日本では「だるまさんが転んだ」、韓国では「むくげの花が咲きました」と呼ばれるこのゲームは、両作品とも第1回目の生死を賭けた試練として描かれています。
教頭の頭から出現した「だるま」の指示に従わなければ即座に死が訪れるという展開は、子供時代の純粋な思い出を恐怖へと転換させる効果を持っています。
ライアーゲーム
血みどろの暴力描写こそありませんが、心理的恐怖という点では最も洗練された作品と言えるでしょう。主人公の神崎直は「バカ正直」という性格設定ながら、次第にゲームの本質を理解していく成長を見せます。
注目すべきは、彼女が自分の恩師に裏切られるという展開です。この経験が、天才詐欺師・秋山深一との出会いにつながっていきます。
ファン・ドンヒョク監督は、漫画喫茶で『ライアーゲーム』を読んでいた経験について語っています。
「もし自分がゲームに参加したら…」と想像を膨らませていたそうです。
この作品から受けた影響は、イカゲームにおける心理戦の描写に色濃く反映されています。
特に、お金に困った人々が危険な戦いの場に身を置くという設定は、まさにライアーゲームから着想を得たと言えるでしょう。
さらに、参加者たちがゲームを通じて人間性を試される展開も、両作品に共通する重要な要素となっているんです。
総括:イカゲームはカイジのパクリ?
それでは最後に、この記事の内容をまとめます。