ネットフリックス『イカゲーム3』がついに配信され、多くの視聴者がその衝撃的な結末に言葉を失っています。ボクも実際に最終話まで見終わったとき、しばらく何も考えられませんでした。
今回のファイナルシーズンでは、ソン・ギフンの壮絶な最期、愛らしい赤ちゃんの運命、そしてジュニやミョンギといった印象深いキャラクターたちの死亡シーンが描かれました。特にギフン死亡のシーンは、多くの視聴者にとって予想外の展開だったのではないでしょうか。
ネタバレ感想を語る前にまずお伝えしておきたいのは、このシーズン3は単なるデスゲームの枠を超えた深いメッセージが込められているということです。最後まで希望を捨てず人間らしさを貫いたギフンの選択には、現代社会への鋭い問いかけが隠されています。
この記事では、そんな『イカゲーム3』の各キャラクターの運命や物語の真意について、ボクなりの視点で詳しく考察していきますね。
イカゲーム3ネタバレ考察

『イカゲーム3』では、これまでのシリーズとは少し違った視点から物語が展開されていきます。
単純なデスゲームの枠を超えて、人間性と社会システムの根本的な問題に迫る内容になっているんです。
各キャラクターの行動や選択には、現代社会が抱える課題への深いメッセージが込められていて、ボクたち視聴者にとって考えさせられる要素がたくさん散りばめられています。
- ファンジュノ刑事の目的は果たせたか?
- カンノウルが与えた物語への影響
- 222番ジュニ死亡の衝撃的展開
- 333番ミョンギの死亡シーンについて
- イカゲーム4の可能性
ファンジュノ刑事の目的は果たせたか?
ファンジュノ刑事は兄であるフロントマンを追い続けてきましたが、シーズン3でついに再会を果たします。ただ、この再会は彼が望んでいた形とは程遠いものでした。
ジュノの最大の目的は兄イノを救うことだったんですが、フロントマンとなった兄はもはや救済の対象ではなくなっていたんですね。島での最後の対面シーンでは、ジュノが「兄さん、どうして?」と問いかけるものの、フロントマンは何も答えずに去っていきます。
この場面を見ていて、ボクは家族の絆でさえもシステムによって破壊される現実の恐ろしさを感じました。ジュノは物理的には兄を見つけることができましたが、精神的にはもう取り戻すことはできない状態だったんです。
ただボクとしては、ギフンが死ぬ前に到着して助けてくれることを期待していました。
やはり最初からチームとして潜入を計画してきた訳ですし、なんたって「主人公」と「イケメン正義役」の組み合わせですよ?普通の感覚であれば目的を達成してハッピーエンドになるはずですよね。
もしかしたらそのあたりも監督は見抜いていて、ボクみたいな安直な思想の視聴者に対し、狙って裏をかいてきたのかもしれませんね(笑)
また一方で、ジュノは赤ちゃんを託されるという新たな使命を与えられます。
これは失敗に終わった兄の救済に代わる、新しい希望の象徴とも言えるかもしれませんが、ボクだったらちょっと迷惑な話かもしれません。
いくら大金の入ったキャッシュカードをもらえたとして、親の顔も知らない、何の手掛かりもない赤ちゃんを一生育てていこうと思えます?
とりあえず経済的には困らないので、施設へ預けるというのがリアルな選択かもしれません。
がしかし、結末としてこれが正解かといえば、ここは賛否両論なのではないでしょうか。
カンノウルが与えた物語への影響
カンノウルは『イカゲーム3』において、単なる脇役を超えた重要な役割を果たしていました。脱北者である彼女の存在は、物語に社会的な深みを与えています。
彼女が246番のギョンソクを救うために命を懸けた行動は、人間の尊厳を守ろうとする意志の表れでした。組織内部にいながらも、システムに完全に染まることなく人間性を保ち続けた姿は本当に印象的です。
ボスの部屋で自分やギョンソクに関する資料を焼却したあと、自殺を図ろうとしました。
これは「今の自分にできる最低限のことはやり終えた」そして「これから生きていても何の希望も持てない」という感情が入り混じった結果だと思うんです。
しかしモニターに映る、赤ちゃんを助けて自分が身を投げる姿を見て思いとどまります。
それは小さな命の大切さを思い出したのと、「まだ自分にできることはあるんじゃないか」と思い直したからではないでしょうか。
実際にその後、ノウルの娘ソンイに関する情報が偽装されていたことが判明し、中国で娘の可能性がある人物が見つかったという展開は、絶望的な状況下でも諦めない結果がもたらした奇跡でしたからね。
しかしノウルの強さには驚きました。
臓器売買のオペ室で圧巻の銃さばきで無双したかと思えば、組織最強キャラと言ってもいい部隊長まで倒してしまうんですから。
ただ個人的には、ノウルにはギョンソクの娘「ナヨン」のお母さんになって欲しかったな、というのは正直あります。ノウルもナヨンに対しては我が子並みの思い入れがありますし、入院前のナヨンもウサギ姿とはいえノウルになついていました。
そしてなんといっても、最後のほうのシーンでギョンソクがノウルの似顔絵を描いているとき、とっても良い雰囲気で「このままゴールするのでは?」という期待がありましたよね?
えっ、ボクだけですか?(笑)
222番ジュニ死亡の衝撃的展開
ジュニの死は『イカゲーム3』の中でも特に心を揺さぶる場面の一つでした。妊娠中にゲームに参加し、極限状態で出産を経験した彼女の物語は、母性愛の究極の形を描いていますね。
第5ゲームの大縄跳びで、ジュニは自分の命と引き換えに赤ちゃんをギフンに託します。「私はこれで子供を守る」という彼女の最後の言葉は、親として子どもを守りたいという純粋な愛情を表現していました。
印象的だったのは、ジュニが飛び降りた直後の赤ちゃんがあくびをしているカットです。
自分を守るためにお母さんが飛び降りたとて、何も理解できない赤ちゃんは穏やかな表情を見せているという対比…。
そして、本人が命を落としたあとに第四話のタイトル「222」が表示されるという。
「えっ?序章で本人がいなくなったばかりなのに222がタイトルってどういうこと?」と思いましたよ実際…。
それは赤ちゃんが番号を引き継ぎ、ある意味その後の物語の中心となっていくという展開。
こんなシュールな演出に、監督のただならぬセンスが見え隠れしますよね。
ただ、最後は一人しか残らないゲームと分かってはいても、できればジュニには生き残って欲しかったです。あんなに若くて可愛い母親が死んでしまうシーンを見るのは、マジで辛すぎますからね…。
333番ミョンギの死亡シーンについて
ミョンギのキャラクターは『イカゲーム3』において複雑な心理を抱えた人物として描かれました。当初は他の参加者を殺害する冷酷な一面を見せていましたが、ジュニの出産を目撃したことで心境に変化が生まれます。
最終ゲームでミョンギは「この子は僕の子です」と宣言し、赤ちゃんを守ろうとする姿勢を見せました。これは彼なりの贖罪の表現だったんでしょうね。過去の罪を償おうとする気持ちが、父性愛として現れたのかもしれません。
と思った束の間、最後の四角の塔でギフンを裏切り、「赤ちゃんをよこせ!」となります。
あの場面で赤ちゃんと自分の二人きりになるということは、完全に赤ちゃんを落として自分だけ生き残ろうとしていましたよね(笑)
最終的にはギフンとの争いの中で落下して死亡してしまうんですが、あそこでギフンが捕まれるような鉄筋があったのは「えーーーっ?それは都合良すぎなんじゃない?」と思いませんでしたか?
ただその鉄筋、監督はしっかり伏線を張っていたんですよね。
競技場に入場する際に、三本の塔がやたらとボロかったんですよ。壁は所々に削られて、かなり年季の入った支柱たちでした。
全体的に破損のある支柱だからこそ、頂上にも欠けがあって鉄筋がむき出しになっている箇所があってもおかしくないじゃないですか。
監督サスガです…。
ミョンギに関しては、中盤は本気でジュニと赤ちゃんを守りたかったんだと思います。しかし終盤になって、我欲と生存本能に勝てなくなってしまった…。
なのでミョンギは、人間の持つ善悪の二面性を表現していたと言えるかもしれません。彼は完全な悪人でも完全な善人でもなく、ボクたち現実の人間が持つ複雑さを体現したキャラクターなのかもしれませんね。
クムジャ/ヨンシク親子の悲劇
ボクが一番つらかったのが、この親子の最後のシーンです。
誰よりも人の命を大切に思う母親「クムジャ」が、何と最愛の息子を死に追いやってしまうという悲劇。
クムジャさんて、ちょっとおせっかいで煙たいところがあるんですけど、物語では1位2位を争うほど人情味のあるキャラクターじゃないですか。そんな人思いなキャラクターに、こんな残酷な役回りをさせるなんて、さすがに監督の非常さを恨みましたね。
もしリアルにクムジャと同じ選択を数秒の間でしなければならないなら、誰一人として正しい選択なんてできないと思うんです。どっちを選んでも後悔しかないという…。
息子のヨンシクといえば誰よりも優しく気弱で、虫一匹殺せない性格です。だから時間一杯まで誰も殺せずにいました。
チャンスはあったんです。第二話で172番の男性と個室で二人きりになった場面がまさにそうでした。でも決心できずに揉み合いになっている最中に、突然背後から現れた別の赤ベストに横取りされてしまうんです。
結局、終了間際で出会ってしまったのが、母クムジャとジュニ親子という悲劇…。
誰も殺したくないのに、誰も殺さなければ自分が死んでしまう。もう頭がおかしくなりそうですよね。
結果として、ヨンシクがジュニを刺そうとしたところを、母クムジャが息子ヨンシクを隠し刀で刺して制止します。これは事実上、実の息子を殺すことを意味します。
クムジャは出会ったばかりの新しい命を守るために、何十年と手塩にかけて育てた我が子に手をかけるんです。
この是非について、ボクはいまだに答えが見つけられません。
優しすぎた母子の最後、あなたはどう整理をつけましたか?
イカゲーム4の可能性
『イカゲーム3』のエンディングでは、アメリカでも同様のゲームが開催される可能性が示唆されています。ケイト・ブランシェット演じるスカウトウーマンのカメオ出演は、物語の国際的な展開を予感させますね。
フロントマンがロサンゼルスでこの光景を目撃し、困惑した表情を見せるシーンは印象的でした。これは彼の知らないところで組織が拡大していることを意味しており、新たな展開の可能性を示しているように感じました。
また、赤ちゃんが456億ウォンの賞金と共にジュノに託されたことも、将来的な物語展開の布石として考えらなくもないです。この資金が次世代の希望を築くために使われるのか、それとも新たな悲劇の原因となるのかという予想も立ちますよね。
ただし、現時点では『イカゲーム4』の制作は正式に発表されておらず、アメリカ版の企画が進行しているという噂です。デヴィッド・フィンチャー監督による英語版シリーズの制作が決定していることから、物語は新たな舞台で継続される可能性が高いと考えられます。
ただし韓国版の続編は、今のところ無さそうな感じです。
イカゲーム3の考察で見る最後の真相

物語の核心部分では、人間性と社会システムの対立が最も鮮明に描かれています。
ギフンの最終的な選択から赤ちゃんの未来まで、すべての要素が現代社会への警鐘として機能しているんです。
特に資本主義社会が個人に与える影響と、それに対抗する人間の尊厳の価値について、とても深く掘り下げられた内容になっています。
- 最終回の解説と結末の意味
- 赤ちゃんの今後の運命
- ギフン死亡で物語が完結する是非
- 親子愛がテーマの深い物語
- ファン・イノとソン・ジフンの勝者はどっちか
- 資本主義社会が落とす終わらない影
最終回の解説と結末の意味
『イカゲーム3』の最終回は、単純な勝敗を超えた深いメッセージを込めた結末となりました。ギフンが赤ちゃんを残して自決するシーンは、物語全体のテーマを集約した象徴的な場面です。
「俺たちは馬じゃない、人間だ」というギフンの最後の言葉は、シーズン1から一貫して描かれてきた人間の尊厳への訴えかけでした。この発言は、人間を商品や道具として扱うシステムに対する最後の抵抗として位置づけられています。
ゲームに勝利することよりも、人間としての尊厳を保つことを選んだギフンの選択は、フロントマンの思惑を完全に裏切るものでした。フロントマンは人間の善性を否定させようとしましたが、ギフンは最後まで信念を曲げませんでした。
この結末は視聴者にとって賛否が分かれるところですが、制作者の意図としては、個人の犠牲による社会への問題提起という側面が強いと考えられます。ギフンの死は無駄ではなく、次世代への希望を託す意味を持っているんですね。
赤ちゃんの今後の運命
222番として優勝した赤ちゃんの今後は、物語の希望的な側面を象徴しています。456億ウォンという巨額の賞金と共にジュノに託されたことで、経済的な心配のない環境で成長できる可能性が示されています。
赤ちゃんがジュノという正義感の強い人物に育てられることは、将来的に社会に良い影響を与える人間になる可能性を示唆していますね。ジュノの刑事としての経験と正義感は、子育てにおいても重要な要素となるでしょう。
という反面、先ほどもお伝えしたように、ボクには見ず知らずの赤ちゃんを育てるというシチュエーションはちょっとキツいなぁと思いました。
母親から託されたギフンが育てるならまだしも、何も関係のないジュノ刑事が育てるという展開にも少々無理を感じてしまったんですよね。
ただ一方で、イカゲームの優勝者という重い過去を背負って生きることになる複雑さも考慮する必要があります。この子が成長したとき、自分の出生の秘密をどのように受け止めるかは重要な問題ですからね。
でも、ギフンとジュニが命を懸けて守ろうとした存在であることを考えると、この赤ちゃんには特別な使命があると考えられます。それは搾取や競争ではなく、人間の連帯と愛に基づいた新しい社会の実現かもしれませんね。
ギフン死亡で物語が完結する是非
ギフンの死について、視聴者の間では様々な意見が交わされています。主人公の死で物語を終わらせることの是非については、確かに議論の余地があるでしょう。
一部の視聴者からは、ギフンが生き残って赤ちゃんを育てる展開を期待していたという声も聞かれます。ボクも正直、最初はそう思いました。でも、よく考えてみると、ギフンの死は彼のキャラクター設定から考えると必然的な選択だったとも言えます。
ギフンは一貫して他者のために自分を犠牲にする人物として描かれてきました。クーデターの失敗で多くの仲間を失った彼にとって、自分の命で赤ちゃんの未来を保証することは最後の贖罪だったのかもしれません。
また、物語のテーマである「人間の尊厳」を最も強く表現する方法として、ギフンの自己犠牲は効果的でした。彼の死は単なる悲劇ではなく、システムに対する最終的な勝利として描かれていたのかもしれませんね。
ただやはり気になるのは、ギフンの最後の言葉であり、最終回のタイトルでもある「人間は」というワードです。監督の言葉では「簡単に答えの出せるテーマではない」ので、視聴者それぞれの判断に委ねようというものでした。
たしかに安易に答えが出るものでもないし、人によってその回答は様々でしょう。ただシリーズを通してのテーマがこの「人間は」という言葉に込められていたように思えてなりません。
劇中ではその探求をギフンが担当し、その後は視聴者にバトンが渡るといった意味なのでしょうか…。
親子愛がテーマの深い物語
『イカゲーム3』では親子愛が重要なテーマとして織り込まれています。ジュニと赤ちゃん、クムジャとヨンシク、ノウルと娘ソンイ、そしてギョンソクと娘ナヨンなど、多くの親子関係が描かれました。
特にジュニの母性愛は物語の核心部分を成しています。極限状態での出産から最後の自己犠牲まで、すべてが子どもを守りたいという純粋な愛情に基づいていました。この描写は現実の親たちの心情に深く響くものでしたね。
クムジャとヨンシクの関係は、親子愛の複雑さを表現しています。息子を守りたい気持ちと、息子を殺してしまった罪悪感の間で苦しむクムジャの姿は、愛情が時として悲劇を生むことを示しています。
ギフンが赤ちゃんを守ろうとする姿勢も、血のつながりを超えた親としての愛情を表現していました。彼自身にも娘がいることから、この赤ちゃんに自分の娘を重ね合わせていたのかもしれませんね。
残酷な殺りく劇と、心温まるヒューマンストーリー。
この強烈な対比も、我々を物語にグイグイと引き込む要因のひとつとなったことは明らかです。
ファン・イノとソン・ジフンの勝者はどっちか
フロントマンことファン・イノとソン・ギフンの最終的な対決は、単純な勝敗では計れない深い意味を持っています。表面的にはギフンが死亡したため、イノの勝利のように見えるかもしれません。
しかし、フロントマンの目的は人間の善性を否定させることでした。ギフンが最後まで人間性を保ち、自己犠牲を選んだことで、この目的は完全に失敗に終わりました。
ギフンが自ら飛び降りたのを見たファン・イノ。
力なくこうべを垂れるその姿は、自分が超えられなかった「いかに人間らしく生きるか」という難題の答えを、目の前で見せられたことによる敗北感そのものに映りました。
イノは過去にオ・イルナムの提案を受け入れて他の参加者を殺害し、その結果として現在の地位を得ました。一方でギフンは同じ提案を拒否し、人間としての尊厳を最後まで守り抜きました。
この対比から考えると、精神的な勝利はギフンにあったと言えるでしょう。物理的には死亡しましたが、彼の信念と行動は多くの人々に影響を与え、赤ちゃんという希望を次世代に託すことができたんです。
資本主義社会が落とす終わらない影
『イカゲーム3』は資本主義社会の問題点を鋭く指摘した作品として完結しました。競争原理に基づいたシステムが人間を商品化し、尊厳を奪っていく過程が克明に描かれています。
ゲーム参加者たちの多くが経済的困窮から参加を余儀なくされた背景には、格差社会の現実があります。ギョンソクの娘の病気、ノウルの脱北経験、ジュニの妊娠など、それぞれが社会システムの犠牲者でもありました。
VIPたちが参加者の死を娯楽として楽しむ姿は、富裕層が貧困層の苦痛を消費する現代社会の縮図として描かれています。この構造は現実世界でも様々な形で存在していて、ボクたち視聴者にとって身近な問題として感じられるでしょう。
一方で、ギョンソクが多くの人々の善意によって娘の治療を受けられたエピソードは、資本主義とは異なる価値観の可能性を示しています。「競争ではなく連帯」「利益ではなく思いやり」に基づいた社会の実現が、物語の最終的なメッセージとして込められているように感じました。
総括:イカゲーム3の考察で見えた真のメッセージ
それでは最後に、この記事の内容をまとめます。