朝鮮王朝第22代王として名高い正祖(イ・サン)の波乱に満ちた生涯を描いた歴史ドラマ「イ・サン」。
幼くして父を失い、何度も命を狙われながらも、理想の王となっていく姿は多くの視聴者の心を揺さぶりました。特に、側室となったソンヨンとの切ない恋物語は、最終回まで見る者を魅了し続けます。
ボクは韓国ドラマ「イサン」のあらすじと相関図を、重要なポイントを押さえながら分かりやすく解説していきます。
70話を超える長編ドラマですが、エッセンスを凝縮してお届けしますのでぜひ最後までご覧ください!
韓国ドラマ「イサン」のあらすじと相関図
宮中に巣くう敵の影。
誰を信じ、誰を疑うべきか。イ・サンの運命は、ひとりの少女との出会いによって大きく動き始めます。
70話を超えるという大河のような物語を、政争、陰謀、そして恋という3つの視点から紐解いていきましょう。
1話から9話まで

1762年、朝鮮王朝の宮廷は深い闇に包まれていました。
朝廷を二分する党派の権力争いに巻き込まれたイ・サンの父、世子(セジャ)は、何者かの陰謀により謀反の疑いをかけられてしまいます。父は水も与えられることなく米びつに閉じ込められ、既に6日もの時が過ぎていました。
幼いサンは父のことが心配でなりません。
父を少しでも力づけたいと、厳重な監視の目をかいくぐって食料を届けることを決意します。夜の闇に紛れて父のもとへ向かう途中、サンは運命的な出会いを果たします。それが女官見習いのソン・ソンヨンと内侍見習いのパク・テスでした。
父の無実を証明しようと必死に奔走するサン。
時敏堂に忍び込んだとしてテスが逮捕されると知り、母である嬪宮(ピングン)に助けを求めますが、嬪宮はサンの身を案じて取り合おうとはしません。サンは国王である英祖(ヨンジョ)に直訴しようとしますが、王は既に巡察に出発しており、3、4日は宮中に戻らないとのこと。
しかし、サンは父から王に見せるよう言われていた絵を見つけます。これを見せれば王の誤解は解けると信じ、雲従街(ウンジョンガ)を巡察中の王に会いに行くことを決意するのです。
懸命な努力も空しく、父は悲劇的な最期を迎えることになりますが、サンは決して諦めません。
「民を慈しむ心」を行動で示し、ついに英祖から世継ぎとして認められるようになります。しかし、サンの苦難はこれで終わりではありませんでした。
9年後、突如として刺客に命を狙われる事態が発生します。
幸いにも難を逃れましたが、誰が差し向けたのか聞き出す前に刺客は毒を飲んで自害してしまいます。見張りの兵や護衛官もいる中で刺客が侵入できたことに疑問を抱いた英祖は怒りを露わにします。
しかし、護衛官が刺客の死体を片付けにいくと、なぜか寝殿には死体はおろか、刺客が押し入った形跡すらありません。刺客を目撃したのはサンただ一人。これにより宮中には、サンが乱心して幻を見たとの噂が広まっていくのでした。
9年前、命を狙われ都から逃げ出したパク・タルホ、ソンヨン、テスの3人は、既に1年前から密かに都に戻っていました。彼らの存在が、これからのサンの運命を大きく変えていくことになります。
10話から14話まで

政敵たちの陰謀によって流罪となっていたチェ・ジェゴンが、まさかの護衛部隊長として復帰します。「武官の墓場」と呼ばれるほど危険な部隊への着任。そこには、サンを守るという重要な使命が託されていました。
注目すべきは、この頃に発生した文科試験での衝撃的な出来事です。
試験の答案の中から、英祖を激しく非難する内容が見つかったのです。さらに驚くべきことに、そこにはサンを真の王だと記す一文まで。
これは大変なことでした。
というのも、英祖は日頃から息子の思悼世子(サドセジャ)を死に追いやったことで良心が咎めていたのです。その弱みを突かれた形となり、英祖は激しい怒りを露わにします。文科も武科も試験はすぐさま中止され、この「逆賊」を直ちに捕らえよとの王命が下されました。
そんな中、さらなる追い打ちがサンを襲います。
サンの亡き父の元護衛官だったソ・インスたちが、謀反の濡れ衣を着せられてしまうのです。これはサンにとって耐え難い事態でした。亡き父の忠臣を何としても助けたいサン。しかし、彼自身も逆賊の首謀者ではないかとの嫌疑をかけられてしまいます。
サンはソ・インスたちの取り調べを自ら行うようにとの王命を最初は拒みました。しかし、悩んだ末に取り調べの場に現れます。
そこで、彼らは無実だと確信したサンは、すぐさま取り調べの中止を宣言。英祖のもとを訪れ、ソ・インスたちの無実を必ず証明すると告げるのです。
一方、テスは武科の試験で気になる出来事に遭遇します。
ホン・グギョンから、どうしても受かりたいのなら、重臣ハン・ジュノが武科を受験する婿に送るであろう課題が書かれた書状を盗み見ろと勧められるのです。
しかし、宮中に押し入った者たちの懐から見つかったとされる暗号が、テスが盗み見たハン・ジュノの書状にあった言葉と同じだったのです。
ハン・ジュノがサンを陥れようとする者たちの一味であり、その背後にはさらなる大物がいると睨んだホン・グギョン。サンを助けたいテスとともに、その調査に乗り出していきます。
敵の拠点を発見したテスはすぐさま捕盗庁(ポドチョン)に通報しますが、そこでまた思わぬ展開が待ち受けていたのです。
15話から44話まで

恵慶宮(ヘギョングン)は依然としてソンヨンを宮殿の書庫に案内し、ソンヨンの手を取り、古い慣わしに囚われず画員を目指せと励まします。しかし、そこへサンの正室ヒョイがやってきます。
一方、新たな政治的な動きとして、サンは世孫の頃に果たせなかった商売の自由化に向けて動き出します。
この頃、英祖(ヨンジョ)は病床に臥し国政を取り仕切れない状態に。サンを摂政として王の権限をすべて任せることを決心し、宣旨を出します。
しかし、偶然その事を知った王妃は、宣旨がサンの手に渡る前に握り潰してしまいます。さらに、ファワンの用意した薬を飲んだ英祖の容態が急変。高熱を出し、意識を失ってしまうのです。
英祖は病床から回復すると、サンにあらためて摂政を命じます。
自分が英祖に代わって国政を担うべきかどうか思い悩んだサンですが、ついに覚悟を決め、摂政として初の政務報告会に臨みます。そこで、国の間違った慣例を正し、新たな朝廷を作り上げるべく、改革に取り組むことを宣言するのです。
しかし、貧しい民を救うための改革は、大きな障壁に直面します。
違法市場の自由化に反対する専売商人が、チョン・フギョムの指示で市場を閉め、都に運び込まれるはずの品物をすべて買い占めてしまうのです。都では品不足の上に物価が高騰し、民の生活に支障をきたすように。
さらに事態は悪化し、民衆の暴動により死傷者を出したことで、英祖はついにサンの摂政を撤回します。
その頃、貞純(チョンスン)王妃は、サンが世孫の地位を追われることを見越し、兄のキム・ギジュを平壌から宮中に呼び戻していました。彼女は王の死後、自ら摂政を執るために、まだ幼く力も弱い、サンの義弟を次の世継ぎに据えようと企んでいたのです。
動乱の時代にあって、サンは自らの信念を貫き、理想の政治を目指して奮闘します。その傍らで、ソンヨンは画員としての腕を磨きながら、密かにサンを支え続けるのでした。二人の関係は、まだ表立って認められてはいませんでしたが、互いを想う気持ちは日に日に強くなっていったのです。
45話から61話まで

いよいよサンの即位式が目前に迫ったこの時期、チョン・フギョムを筆頭とする老論派の重臣たちは、大金を支払って刺客を雇い、暗殺計画を練ります。
彼らの周到な計画には目を離せません。
刺客は宮殿の丹青(建物の装飾)を補修する職人に巧妙に扮して潜入を試みます。しかし、足が不自由なふりをして同情を買おうとした刺客の演技を、サンの鋭い洞察力が見抜いたのです。
サンは無事に即位を果たし、続く日々で自らの命を狙った政敵たちを次々と捕らえていきます。断固とした処罰を断行することで、王としての威厳を示していったのです。しかし、この時期の宮廷では、もう一つの大きな問題が水面下で進行していました。
図画署では、ソンヨンが元嬪の部屋に飾る懐妊祈願の屏風絵を描くことになります。しかし、実はこの時、元嬪の懐妊は想像妊娠だったことが発覚していたのです。
この重大な事実を隠すため、元嬪の兄であるホン・グギョンは主治医と共謀。なんと王妃に責任を転嫁しようという大胆な計画を立てます。
事態はさらに複雑化していきます。
サンを暗殺しようとした者たちの懐から見つかった暗号が、ホン・グギョンの書状と一致するという衝撃的な事実が明らかになったのです。サンを陥れようと企む者たちの陰謀に兵曹判書ハン・ジュノが加担していることも判明。サンは彼に罪状をつづった書状を匿名で送りつけ、その動きを探ることにします。
ところが、この書状を受け取ったハン・ジュノが真っ先に向かった先は、なんとサンの叔母ファワンのもとでした。父を死に追いやったのが叔母ファワンだと知ったサンは愕然としますが、この機会を逃すまいと決意。同時に突き止めた私兵団の拠点に兵を送り、敵を一網打尽にしようと試みます。
注目すべきは、この時期のサンの成長ぶりです。
政敵の策略に翻弄されながらも、冷静に状況を分析し、的確な判断を下していく姿には、王としての資質が十分に表れていました。また、ソンヨンの存在が、この困難な時期のサンを精神的に支えていたことも見逃せません。次第に二人の関係も深まっていく中で、宮廷の権力闘争は新たな局面を迎えようとしていたのです。
62話から最終回まで

最も心を揺さぶられるのは、この最終章です。
ソンヨンが弟のソンウクと共に都を離れて暮らし始めた時、サンは迷うことなく彼女を迎えに行きます。
そこで感動的な発見がありました。幼い頃に怪我をしたソンヨンの腕に、サンが結んでやった帯が、今でも大切に保管されていたのです。この小さな布切れが、二人の長年の想いを物語っていました。
互いの気持ちを確かめ合った二人は、ついに結ばれることになります。
しかし、母である恵慶宮は頑なにソンヨンを認めようとしません。毎日の挨拶にも関わらず、冷たく追い返されてしまうのです。それでもソンヨンは、サンやヒョイ王妃に余計な心配をかけまいと、この苦しみを一人で抱え込んでいました。
しかし運命は残酷でした。ソンヨンが重い病に倒れてしまうのです。
サンは国中から医師を呼び寄せますが、誰もが治療を諦めてしまう状況に。サンは少しでも治る可能性があるのならと、清国から西洋医術を習得した医師を連れてくるようテスに頼みます。しかし、ソンヨンは「治る見込みもないのにサンに無駄な希望を抱かせたくない」と、それも拒否するのです。
最期の時、ソンヨンはサンに抱かれながら静かに息を引き取りました。
33歳という若さでした。当時、彼女は妊娠9ヶ月だったとも言われています。サンはソンヨンの死を深く悲しみ、数日間は食事も取らず、政務にも出なかったと記録に残っています。
時は流れ、サンには新たな側室との間に世継ぎのコンが誕生します。
興味深いことに、サンはコンに対して、かつて自分が英祖から問われたのと同じ質問をするのです。「聖君に最も重要な徳は何か」。寝る間も惜しんで答えを探すコンの姿は、まさに幼い頃のサンそのものでした。
この最終章で特筆すべきは、サンとソンヨンの深い愛情です。
サンは後に「御製宜嬪墓表」という約680字の碑文と、「御製宜嬪墓表誌銘」という約2000字もの長大な追悼文を残しています。そこには、ソンヨンの優れた才能や、慎み深い性格、さらには彼女が王妃に対して常に礼を尽くしていたことなど、細やかな思い出まで記されているのです。
これほどまでに詳細な追悼文を側室のために記すことは、朝鮮王朝でも極めて異例なことでした。
韓国ドラマ「イサン」のあらすじ|深堀り情報

イ・サンが側室のソンヨンに宛てて残した追悼文には、歴史書からは見えてこない、人間味あふれるエピソードが詰まっています。
ボクが特に印象的な2つのポイントについて、史実を交えながら詳しくご紹介したいと思います。
イ・サンが愛した側室について
朝鮮王朝において、宜嬪(ウィビン)成氏として知られるソン・ソンヨンは、1753年に昌寧成氏の家系に生まれました。
ボクが特に興味深く感じるのは、彼女の生い立ちです。
父親は洪鳳漢(ホン・ボンハン)の屋敷で働く使用人でした。この洪鳳漢こそが、イ・サンの母である恵慶宮(ヘギョングン)の父親なのです。
こうした縁から、ソンヨンはわずか9歳(一説では10歳)で王宮に入り、宮女の見習いとなります。そして、恵慶宮の元に預けられることになるのです。この時、1762年のイ・サンとの出会いが運命的なものとなります。イ・サンが10歳、ソンヨンが9歳の時でした。
最も驚くべきは、1780年、イ・サンが国王として彼女に承恩(国王が意中の女性と一夜を共にすること)を命じた時の出来事です。
ソンヨンはこれを拒絶したのです。理由は、まだ子供を産んでいない孝懿(ヒョウィ)王后に申し訳ないという気持ちからでした。さらに15年後、再び後宮になってほしいと命じられた時も、彼女は断っています。
しかし結局、召使が罰せられる事態となり、ソンヨンは承諾せざるを得なくなります。その後、彼女は側室となる前に正祖の子を身ごもり、1782年9月に王子を産みました。この功績により、1783年に正一品の位を授かることになるのです。
イ・サンの彼女への深い愛情は、2つの追悼文に如実に表れています。
「御製宜嬪墓表」という約680字の碑文と、「御製宜嬪墓表誌銘」という約2000字にも及ぶ追悼文です。
朝鮮王朝において、配偶者のために碑文を書いて残すこと自体が一般的ではありません。まして女性のための碑文となると、母親に対してか、一族の女性全員をまとめて記すのが通例でした。
ソンヨンへの追悼文には、彼女の字の美しさや、編み物、料理の腕前まで細かく記されています。
特に印象的なのは、彼女が王妃に対して常に礼を尽くし、一歩下がって慎ましく生きた姿を評価する記述です。これは、まさに公開のラブレターと言えるでしょう。
ソンヨンの最後は?
ボクが特に注目したいのは、ソンヨンの最期に関する記録です。
先ほどもお伝えした通り、1786年、宜嬪(ウィビン)成氏として知られるソンヨン(本名:成徳任、ソン・ドギム)は、わずか33歳という若さでこの世を去りました。その時、彼女は第三子を身ごもっており、出産まであと1ヶ月というところでした。
死因については諸説あり、公式の記録には明確な詳細が残されていません。一般的には肝硬変と言われていますが、妊娠中毒症の可能性を指摘する説もあります。いずれにしても、彼女の突然の死は宮廷に大きな衝撃を与えました。
最も深い悲しみに暮れたのは、言うまでもなくイ・サンでした。
彼は数日間、飲み食いを全廃し、国政を論じる場にも姿を見せなかったと記録に残っています。この異常な喪失感は、当時の歴史書にも記されており、茫然自失となったイ・サンの様子が生々しく伝わってきます。
ソンヨンの墓は当初、別の場所にありましたが、後に西三陵に移されました。
興味深いことに、彼女の生んだ文孝世子の墓は孝昌園(コチャンウォン)と呼ばれ、母であるソンヨンの墓よりも格上の位置づけをされています。これは、彼が王位継承者としての地位を評価されていたことを示しているのです。
後世に残された様々な記録から見えてくるのは、ソンヨンが単なる側室以上の存在として、イ・サンの人生に大きな影響を与えた女性だったということです。その短い生涯は、韓国の歴史ドラマ「イ・サン」でも印象的に描かれ、多くの視聴者の心を打つ物語となりました。
総括:韓国ドラマ「イサン」のあらすじ
それでは最後に、この記事の内容をまとめます。