Netflixで大ヒットした韓国ドラマ「梨泰院クラス」。
視聴者の心を掴んだのは痛快な復讐劇だけでなく、主人公パク・セロイを巡る三角関係でした。
可愛いと評される美貌と複雑な内面を持つスアと、行動力あふれるイソ。両者の対照的な魅力に惹かれながらも、「スアが嫌い」という意見も見られる中、なぜこれほど議論を呼ぶのでしょうか。
スアの最後の選択に込められた真の意味を、この記事では徹底解説します。
スア派もイソ派も、ぜひ最後までお読みください!
梨泰院クラスのスアがかわいそうと感じる視聴者の声

梨泰院クラスを見終わった多くの視聴者が「スアがかわいそう…」と感じたようです。
15年以上も想い合いながら結ばれなかった悲恋、長家という敵側に属さざるを得なかった葛藤、自分自身の呪縛に苦しむ姿に心を動かされた方も多いでしょう。
スアが嫌われる要素もある中で、なぜこれほど多くの人が彼女に共感し、同情するのか。その複雑な心理と背景を探っていきましょう。
スアとセロイの長年の想いが報われない結末
梨泰院クラスの最大の悲恋と言えるのがスアとセロイの関係です。15年以上も互いを思い続けてきた二人ですが、結末では結ばれることはありませんでした。セロイが最終的にイソを選んだことで、多くの視聴者が「スアがかわいそう」と感じたのも無理はありません。
長年の想いが報われなかった背景には、二人の置かれた複雑な状況があります。高校時代に出会い、一目で惹かれ合った二人でしたが、セロイの父親が長家によって殺され、セロイ自身も冤罪で刑務所に入ることになったんです。その間もスアへの想いは変わらなかったセロイですが、「復讐を果たすまでは幸せになれない」という思いが彼を縛っていたんですよね。
ボクが特に印象的だと思ったのは、バス停でのシーン。セロイがスアに「お前が何をしようが俺は揺るがない」と約束するんですが、この言葉が皮肉にも彼らの関係の限界を示していたんです。相手の言動に一喜一憂するのが恋愛なのに、何があっても変わらない気持ちって、実は一方的で不健全な面もあるんですよね。
結局、日々の苦闘を共にしたイソとの絆が深まったセロイは、過去の想いよりも現在の感情を優先する選択をします。この展開に「裏切られた」と感じるスア派も多いですが、15年間思い続けていても実際に共に戦ったのはイソだったという現実も否定できないのが切ないところです。
スアが長家にいた本当の理由と葛藤
「なぜスアは長家に就職したのか」という疑問は、梨泰院クラスを見ている人なら誰もが抱くものでしょう。セロイの父親を殺した会社に勤めるというのは、一見すると裏切り行為のように思えますよね。でも、その背景には彼女なりの事情があったんです。
まず、スアは孤児院で育った天涯孤独の身。会長チャン・デヒから大学進学の支援を約束され、将来の安定を求めて長家に就職することを選びました。この判断は純粋な自己保身とも言えますが、選択肢が限られていた彼女を一概に責められないのがつらいところです。
実はスアは長家にいながらも、10年もの間、会社の不正証拠を集め続けていたんですよ。これは彼女なりのセロイへの恩返しであり、長家への復讐方法だったんです。つまり、「内部から崩す」という戦略を彼女は選んでいたんですね。
「長家とセロイの板挟みで苦しい」とスアは何度も漏らしていましたが、それは本心からの言葉でした。会長からの「奴隷根性を植え付けた」という発言にもあるように、スアは精神的に支配され、簡単に逃げ出せない状況に置かれていたんです。
葛藤を抱えながらも、最終的にスアは「私の人生で初めて、したい方を選びます」と宣言し、長家を離れる決断をします。この瞬間こそ、彼女が真の自由を手に入れた転換点だったと言えるでしょうね。
「私はかわいそう」という呪縛に囚われたスア
スアの人生の大きな障壁となっていたのは、「私はかわいそう」という自己認識なんです。母親に捨てられ、孤児院で育った彼女は、自分を「不幸な人間」と位置づけ、その呪縛から抜け出せずにいました。
この「私はかわいそう」という思いは、彼女の行動原理にも大きく影響しているんですよ。スアが何かにつけて自己保身を優先してしまうのも、この思いが根底にあるからなんです。「知ってる?あんたには悪いと思ってない。なぜなら私は自分が一番大事だし、一番不憫だから」というセロイへの告白は、彼女の本音が垣間見える重要なシーンでした。
問題なのは、「かわいそうな私」という自己認識が、彼女の可能性を狭めていたことです。長家にいることの言い訳になり、セロイに解放してもらうのを待つという受け身の姿勢を生み出していたんですよね。一方のイソは「私は優秀だから、成功も愛もすべて手に入れられる」という強い自己肯定感を持っており、この対比が際立っています。
ボクが注目したいのは、ドラマの終盤でスアが「私はかわいそう」の呪いから解放される瞬間です。長家会長に対して「私の人生で初めて、したい方を選びます」と宣言し、自ら内部告発を行うことで、彼女は初めて主体的に行動したんです。この変化こそが、ドラマの隠れたテーマの一つなのかもしれませんね。
スアは最後に自分の店を持ち、新たな出会いも予感させる展開になりました。「かわいそうな私」でなく「強い私」として再出発する彼女の姿に、救いを感じた視聴者も少なくないでしょう。
スア派とイソ派に分かれる視聴者の反応
梨泰院クラスの視聴者の間では、セロイの恋愛相手としてスアを応援する「スア派」と、イソを応援する「イソ派」に真っ二つに分かれちゃいました。この対立は単なるキャラクター好みを超え、恋愛観や価値観の違いを反映した興味深い現象なんですよ。
スア派の主な意見としては「15年も思い続けたのに報われないなんてかわいそう」「高校時代からの純愛が実るべき」「スアの方が見た目も美しく、セロイとの相性も良い」というものが多く見られます。特に日本では、長年の想いが実るロマンチックな展開を好む傾向があり、スア派が多い印象です。
一方のイソ派は「イソはセロイのために何でもする覚悟がある」「スアは自己保身ばかりで行動が伴わない」「イソの方が能動的でセロイの夢を共に追いかけている」と主張します。現代的な恋愛観を持つ視聴者ほど、イソの行動力に共感する傾向があるみたいです。
面白いのは、男女で支持が分かれる傾向があること。女性視聴者はイソの行動力や一途さに共感する声が多い一方、男性視聴者はスアの美しさや儚さに惹かれる傾向があるんですよね。「セロイがイソを選んだ展開は自然」という意見と「最後まで信念を貫くセロイならスアを選ぶべきだった」という意見の対立は、ドラマの醍醐味の一つとなりました。
ボクの周りでも、梨泰院クラスの話になるとすぐにスア派・イソ派論争が始まるんですよ。それだけ二人の女性キャラクターが魅力的で、どちらが報われてもどちらかが不幸になる展開に視聴者の心が揺さぶられたんでしょうね。
スアは嫌いと言われる理由と誤解
スアは「嫌い」と評されることも少なくありませんが、これには誤解も多く含まれているんですよ。主な批判点は「何がしたいのかわからない」「行動が中途半端」「長家にいながらセロイを思うという矛盾した姿勢」などです。
確かにスアの行動には一貫性がないように見える部分があります。セロイの父親の死の原因を知りながら長家に就職し、セロイと長家の間で揺れ動く姿は、視聴者から「どっちつかずでずるい」と評されることもありました。特にイソのような明確な行動を見せるキャラクターと比較されると、その印象は強まりますよね。
でも、これらの批判はスアの置かれた複雑な状況を十分に理解していない場合が多いんです。孤児として育ち、自己保身を優先せざるを得なかった背景、長家からの心理的支配、そして長期的な視点で不正証拠を集めていたという事実は、表面的には見えにくい部分なんですよね。
ボクがもっとも誤解されていると感じるのは、スアの「何もしていない」という評価です。だって彼女は10年もの間、長家の不正証拠を集め続けていたんですから。最終的に内部告発という形で長家に致命的な一撃を与えたのは、他ならぬスアだったんですよ。「表立って行動しない」ことと「何もしていない」ことは全く違いますからね。
実際には、スアはセロイとは違うやり方で長家への復讐を遂行していました。彼女なりの「信念」を持っていたと言えるでしょう。物語の最後に見せた凛とした姿は、彼女の本質を表していたのかもしれませんね。
梨泰院クラスのスア|かわいそうな最後の選択

スアの物語の結末は、セロイを失うという意味では悲しいものでした。しかし別の視点から見れば、彼女自身が初めて自分の人生を取り戻す瞬間でもあったのです。
長家との決別、セロイへの恩返し、そして新たな出発。スアの見せた最後の選択は、実は彼女にとって真の解放だったのかもしれません。
イソとは異なるやり方で見せた、スアの強さと成長の軌跡をご紹介します。
セロイとイソの恋愛関係からみるスアの立場
セロイとイソの恋愛関係が発展するにつれて、スアの立場はどんどん厳しいものになっていきました。セロイが長年スアを思い続けていたにもかかわらず、イソとの日常的な触れ合いが彼の心を徐々に変えていったんです。
イソはセロイのレストラン「タンバム」で働きながら、彼の夢を共に追いかけ、苦難を分かち合いました。一方、スアは長家という敵陣営にいたため、セロイと共に過ごす時間はほとんどありませんでした。この「共にある時間」の差が、最終的なセロイの選択を決定づけたと言えるでしょう。
ボクが注目したいのは、セロイが病院でイソの看病をしているときの心境の変化です。イソが倒れたことで、彼女の存在の大きさに初めて気づいたセロイ。このシーンは彼の気持ちが決定的にイソへと傾いたターニングポイントだったんですよね。
スアの視点から見れば、これは非常に辛い状況だったでしょう。「お前が何をしようが揺るがない」と言われていたのに、結局セロイの気持ちは変わってしまった。しかも、その変化を生み出したのは、自分が選択した「長家にいる」という決断の副作用とも言えます。ある意味、スアは自分自身の選択によって、セロイを失うことになったのかもしれません。
視聴者の中には「長家からタンバムに移れば良かったのに」という声もありますが、実際にはそんな簡単な問題ではなかったんです。複雑な事情を抱えたスアの立場を理解すると、彼女の選択にも納得できる部分があるんですよね。
スアが最後に見せた真の強さと決断
ドラマの終盤、スアは驚くべき変化を見せます。それまで自己保身ばかりだと思われていた彼女が、長家会長に向かって「私の人生で初めて、したい方を選びます」と宣言した瞬間は、多くの視聴者の心を打ちました。
10年分の長家の不正証拠を提出し、内部告発を決行したスアの行動は、彼女が密かに持っていた強さと決断力を証明するものでした。実は彼女はただ自己保身のために長家にいたわけではなく、長期的な視点で不正を暴くための証拠を集めていたんです。まさに「内部から崩す」という戦略を取っていたんですね。
ボクがこのシーンで特に感動したのは、スアの表情の変化です。それまでどこか影のあった彼女の表情が、決断を下した瞬間から晴れやかになっていくんですよ。「私はかわいそう」という呪縛から解放され、自分の意志で生きる強さを手に入れた瞬間だったと言えるでしょう。
この決断は単に長家への復讐だけでなく、セロイへの恩返しでもあり、そして何より自分自身のための行動でした。最終的にセロイとは結ばれなかったものの、スアは自分の人生を自分の手に取り戻すという、もっと大切なものを手に入れたのです。
「レストランをオープンする」というラストシーンでのスアの姿には、新たな人生への希望と決意が感じられます。セロイを失った悲しみよりも、自分らしく生きる喜びが彼女の表情に表れていました。これこそが、スアが最後に見せた真の強さだったんじゃないでしょうか。
スアとイソの対照的な恋愛観と価値観
梨泰院クラスの魅力の一つは、スアとイソという二人の女性が持つ、まったく対照的な恋愛観と価値観です。両者の違いは、セロイという男性への接し方に如実に表れていました。
スアの恋愛観は「私を幸せにしてほしい」という受け身の姿勢が特徴的です。彼女はセロイに「長家から解放してほしい」と願い、自分を救ってくれるヒーローを待ち続けました。この背景には「私はかわいそう」という自己認識があり、誰かに救われて当然という思いがあったのでしょう。
一方のイソは「私が幸せにしてあげる」という能動的な恋愛観の持ち主です。セロイの夢を自分の夢として捉え、彼の成功のために自らが行動することを厭いませんでした。イソは常に「自分が何をすべきか」を考え、行動に移す強さを持っていたんです。
ボクが面白いと思ったのは、この対照的な価値観が二人の生い立ちからも説明できる点です。スアは母親に捨てられた経験から自己肯定感が低く、イソは逆に「あなたは特別」と言い続けてくれる母親の存在により強い自己肯定感を持っていました。この違いが、恋愛に対する姿勢の違いを生み出したんですね。
恋愛以外の価値観にも大きな違いがあります。スアは安定を求め、イソは挑戦を恐れない。スアは自分を守ることを優先し、イソは目標のためなら自分を犠牲にすることも厭わない。こうした価値観の違いが、セロイとの関係性にも影響していました。
現代社会では、イソのような能動的で自立した女性像が評価される傾向がありますが、スアの立場も理解できます。異なる環境で育った二人だからこそ、異なる価値観を持つのは自然なことなんですよね。
パクボゴムとの新たな出会いは救済か
梨泰院クラスの最終話で、スアの前に突如現れたパクボゴム演じる新キャラクター。彼の登場は、多くの視聴者に「スアの新たな恋の予感」を感じさせるものでした。セロイを失ったスアに対する救済措置として、脚本家はこの出会いを用意したのでしょうか?
パクボゴム演じるキャラクターは、スアが新しくオープンしたレストランの下見に来た人物として登場します。スアとの会話でも自然な笑顔を見せ、二人の間に何かしらの化学反応が起きそうな雰囲気がありました。彼の登場は短いものの、新たな可能性を予感させるには十分だったんですよね。
ただ、多くのスア派視聴者にとって、この展開は消化不良気味だったかもしれません。「長年セロイを愛してきたスアが、こんなに簡単に次の恋に進めるの?」という疑問が生じるのは自然なことです。セロイとスアの関係にはある種の重み、15年以上の歴史があったわけですから。
ボクとしては、この展開は「救済」というよりも「新たな出発」を象徴していると捉えています。スアが自分の店を持ち、新しい出会いがあるという設定は、彼女が「過去に囚われない」選択をしたことの表れなんですよね。セロイに執着せず、新しい人生を歩み始めるスアの姿は、むしろ成長の証と言えるのではないでしょうか。
ちなみに、このわずかなシーンのためにパクボゴムをキャスティングしたのは、韓国ドラマらしい粋な計らいだと思います。スターの突如登場によって、視聴者に「スアの新たな恋は特別なものになるかもしれない」と想像させる効果がありましたからね。
可愛いと評価されるスアの魅力と演技力
スアを演じたクォン・ナラの演技力と魅力は、梨泰院クラスの成功に大きく貢献しました。彼女が表現するスアの複雑な感情の機微は、多くの視聴者の心を掴んで離しませんでした。
クォン・ナラの際立つ特徴は、何と言っても美しさと可愛らしさの両方を兼ね備えている点です。高校生時代のピュアな可愛らしさと、大人になってからの凛とした美しさを、違和感なく演じ分けているんですよね。特に高校時代のスアは、あどけなさと芯の強さを併せ持ち、セロイが一目で惚れてしまう理由が視聴者にも伝わってきます。
演技面では、複雑な心情を微妙な表情の変化で表現する技術が光っていました。長家とセロイの板挟みで苦しむ姿、自分の選択に後悔しつつも強がる瞬間、そして最後に真の自分を取り戻す喜び。これらの感情の機微を、オーバーアクションに頼らず繊細に表現していたんです。
ボクが特に印象に残っているのは、バス停でセロイに「俺はお前が何をしても揺るがない」と言われたときのスアの複雑な表情です。嬉しさと悲しさが入り混じった、言葉では言い表せない感情を見事に表現していましたよね。
スアのキャラクターは「可愛いだけ」ではなく、強さと弱さ、優しさと冷たさ、自己中心的な面と献身的な面など、多面的な性格を持っていました。クォン・ナラはそうした複雑なキャラクターを説得力を持って演じ切り、「嫌い」と言われながらも多くのファンを獲得した点は、彼女の演技力の証明と言えるでしょう。
指原莉乃に似ていると話題になった理由
梨泰院クラスがNetflixで配信されるや否や、日本では「スア役のクォン・ナラが指原莉乃に似ている」という話題が広がりました。SNSでは比較画像が投稿され、芸能人からもそのような発言があり、一種の現象となりました。
実際、二人の間には確かに似ている部分があります。特に表情やしぐさの一部に、ふとした瞬間の類似点が見られるんですよね。もっとも似ていると指摘されるのは、口元の形や微笑んだときの表情です。ドラマの中でスアがセロイに向ける少し意地悪な微笑みは、確かに指原莉乃さんの表情に通じるものがあるかもしれません。
ただ、クォン・ナラと指原莉乃の間には、顔の造形そのものにはかなりの違いもあります。クォン・ナラは韓国の女優らしい整った顔立ちで、身長も172cmと高身長なのに対し、指原莉乃さんは159cmとかなり差があります。また、クォン・ナラの方がより彫りが深く、典型的な韓国美人という印象です。
面白いのは、二人のプロフィールにも共通点があること。両者ともアイドルグループ出身(クォン・ナラはHELLO VENUS、指原莉乃はAKB48/HKT48)であり、年齢も近い(クォン・ナラは1991年生まれ、指原莉乃は1992年生まれ)という偶然もあるんです。
この「似ている」という話題が広がったことで、日本での梨泰院クラスの認知度がさらに高まったという側面もあるでしょう。「指原莉乃に似ている美人が出てるドラマ」という入口から、多くの日本人視聴者がこの作品に触れるきっかけになったのかもしれませんね。
ボクとしては、二人は雰囲気が少し似ている部分はあるものの、根本的には全く異なるタイプの美人だと思います。でも、こういった話題が作品への関心を高めるのは、エンターテイメントならではの面白い現象ですよね!
梨泰院クラスでスアがかわいそうと話題になった理由のまとめ
それでは最後に、この記事の内容をまとめます。